テリー・デイル・ブロウズ(Terry Dale Burrows , 1968年11月28日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
マクニーズ州立大学から、1990年のMLBドラフト7巡目でテキサス・レンジャーズに指名を受け入団。1994年6月12日にメジャー初登板を果たす。
1996年のシーズン途中、ミルウォーキー・ブルワーズに移籍。
1997年は、サンディエゴ・パドレスでプレーした。同年の秋にはNPBの千葉ロッテマリーンズの入団テストを受けたが、不合格になっている。
1998年は、ボルチモア・オリオールズ傘下3Aのロチェスター・レッドウイングスに所属し、インターナショナルリーグで防御率1位の成績を残した。同年以降、メジャーでの登板は無い。
2000年は、オークランド・アスレチックス傘下3Aのサクラメント・リバーキャッツに所属していたが、オリックス・ブルーウェーブからオファーを受け、契約金と年俸合わせて38万ドル(当時のレートで約4000万円、金額は推定)で4月21日に1年契約を結んだ。
4月26日に来日すると、4月30日の対近鉄戦で早くも初登板・初先発を務め、勝利を挙げている。そのまま先発ローテーションに入り4試合で3勝を挙げたものの、5月14日の対ロッテ戦と5月28日の対ダイエー戦ではともに9失点と大きく崩れた。6月1日の対西武戦で0回2/3でノックアウトされると、以後はシーズン終盤まで中継ぎに回った。シーズン終了後、具臺晟の獲得などもあり、11月30日に退団が発表された。
2001年はメキシカンリーグとマイナーリーグでプレーし、同年限りで引退した。
プレースタイル・人物
制球が非常に悪く、2000年6月3日の対近鉄戦では3番手でマウンドに上がったが、3者連続を含む1試合4個の押し出しというNPB最多タイ記録を残している。また、この試合では直前に登板した小林宏、岩下修一とあわせて6連続四死球も記録し、NPBの1イニング最多記録に並んでいる。3人で17失点を喫したが、ブロウズの後には野手の五十嵐章人がマウンドに上がって1回無失点に抑え、史上2人目の全ポジションでの出場を果たしている。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 「-」は記録なし
記録
- NPB
- 初登板・初先発・初勝利:2000年4月30日、対大阪近鉄バファローズ5回戦(大阪ドーム)、5回1/3無失点
- 初奪三振:同上、2回裏にタフィ・ローズから
- 初完投:2000年10月15日、対千葉ロッテマリーンズ26回戦(千葉マリンスタジアム)、8回4失点(自責点3)で敗戦投手
- 1試合4個の押し出し:2000年6月3日、対大阪近鉄バファローズ9回戦(大阪ドーム)、3回裏に3つ・8回裏に1つ ※史上7人目(最多タイ記録)
背番号
- 38 (1994年 - 1995年)
- 53 (1995年)
- 39 (1996年)
- 33 (1997年)
- 43 (2000年)
脚注
関連項目
- オリックス・バファローズの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube

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