弁華別神社(べんけべつじんじゃ)は、北海道石狩郡当別町弁華別に所在する神社。『当別町史』には弁華別橿原神社の名で記載されている。
祭神は神武天皇と、その皇后である媛蹈鞴五十鈴媛尊(ひめたたらいすずひめのみこと)の2柱。
歴史
1886年(明治19年)7月、弁華別開拓の指導者だった柴藤善三郎が、東京にて39歳で客死した。彼をしのんだ弁華別の人々は、1893年(明治26年)8月9日に「柴藤善三郎之碑」を建立し、以後毎年8月のお盆には祭事を行うようになった。
1905年(明治38年)、神武天皇および皇后を祀り、橿原神宮の遥拝所となる。
1910年(明治43年)、拝殿を新築して弁華別橿原神社と称した。
1932年(昭和7年)、弁華別開拓50年記念事業の一環として神殿を改築し、神社としての体裁を整えた。
碑
- 柴藤善三郎之碑
- 1893年(明治26年)8月9日建立。この神社の礎となった。
- 地鎮碑
- 1895年(明治28年)9月建立。
- 1925年(大正14年)、台座が寄進される。
- 1929年(昭和4年)、改造建立される。
- 馬頭観音碑
- 1921年(大正10年)4月建立。
- 弁華別開拓記念碑
- 1932年(昭和7年)9月3日建立。阿蘇岩産の石が用いられた。
- 篆額は伊達正人男爵、碑文は当別村戸長を務めた鮎田小隅による。
脚注
参考文献
- 『当別町史』1972年5月30日。
外部リンク
- 北海道神社庁 - 弁華別神社


