澄川(すみかわ)は北海道札幌市南区の地名。

精進川の東岸に広がる地域である。

歴史

澄川は、かつての豊平町大字平岸字精進川・真駒内・東裏・平岸・山の上・望月寒・精進川沿・焼山(一部)を含む地域である。

札幌本府の建設が始まったころ、この一帯はトドマツの森林であり、開拓使はここから木材を伐り出していた。

1871年(明治4年)、精進川の両岸に岩手県から入植者が来るものの、本格的な開拓には至らなかった。

1882年(明治15年)、福岡県(筑前国)遠賀郡山鹿村字正津ヶ浜から21戸が北海道移住のため出立し、そのうち9戸がこの地に入植することで開拓が始まった。ところが移住を斡旋した「報国社」がまもなく解散してしまい、移住者たちは住居もおぼつかなくなってしまった。同じく福岡県から福移に入植した「開墾社」の件と合わせ、事態は社会問題化した。1883年(明治16年)11月に福岡県で集められた救助金が届けられ、1885年(明治18年)まで送金された。前述の9戸もその分配を受け、大いに励まされたものの、開墾は容易ではなく、この地を去る者や小作となる者も多かった。

1885年には第2回の筑前移民が行われ、26個のうち19戸がこの地に入植した。しかし1889年(明治22年)の大冷害の影響もあり、彼らが定着するのは難しかった。1890年(明治23年)ころから、南1条西3丁目で呉服屋を営む石田篤三郎らが土地を取得。石田は小作制をとり、1892年(明治25年)には故郷の新潟から人を呼び寄せ、筑前移民の残留者とあわせて道半ばの開拓を続行させた。しかし呉服屋の経営が不振となったことから、これらの土地は1894年(明治27年)に大井上逸策に譲渡され、次いで大井上輝前の所有となった。

1896年(明治29年)、小樽三大網元のひとつ茨木家の茨木与八郎が土地を取得し、約63.8ヘクタールの「茨木農場」を開設した。また同年、精進川沿いの土地約180ヘクタールの貸下げを受けた阿部與之助が、そのうち130ヘクタールを造林地とした。阿部は1897年(明治30年)からカラマツの苗木を育てて植林を開始し、1912年(大正元年)秋に完了した。最終的に阿部造林は約240ヘクタールに及び、北海道内屈指の美林と称され、1913年(大正2年)には大日本山林会から有功章を授与された。一方、田畑を中心としていた茨木農場は、1925年(大正14年)からリンゴの苗木5000本を植えつけ、果樹栽培も始めた。彼らの働きにより、一帯は農業と林業で発展していった。

1944年(昭和19年)、精進川の流れにちなんで地名を「澄川」と改めた。

住所

交通

鉄道
  • 札幌市営地下鉄南北線
    • 澄川駅
    • 自衛隊前駅
バス
  • 北海道中央バス
    • 西岡営業所が運行
  • 北都交通
    • 新千歳空港連絡バス
かつて存在した鉄道
  • 定山渓鉄道線(廃止)
    • 澄川駅
    • 慈恵学園停留所

施設

学校
  • 札幌新陽高等学校(澄川5-7)
  • 札幌市立澄川中学校(澄川6-6)
  • 札幌市立澄川小学校(澄川5-4)
  • 札幌市立澄川西小学校(澄川2-5)
  • 札幌市立澄川南小学校(澄川5-13)
  • 学校法人経専学園(澄川4-4)
    • 経専医療事務薬業専門学校(澄川3-6)
    • 経専北海道観光専門学校(澄川3-6)
    • 経専北海道どうぶつ専門学校(澄川3-6)
    • 経専北海道保育専門学校(澄川4-4)
  • 札幌コンセルヴァトワール(澄川4-2)
企業
  • ろまん亭(澄川4-2)
  • 南区コミュニティエフエム(澄川3-6、廃止)
その他の施設
  • 澄川図書館(澄川4-4)
  • 紅桜公園(澄川389)

脚注

参考文献

  • 『札幌地名考』さっぽろ文庫1
  • 片岡秀郎『札幌歴史散歩』ヒルハーフ総合研究所、2012年7月14日。ISBN 978-4-9906400-0-2。 

外部リンク

  • 札幌市南区

【札幌】 「札幌市南区 澄川エリア」を特集していきます!! YouTube

澄川温泉 2525ゆるり山歩き

札幌ライブ 澄川繁華街 地下鉄澄川駅 北海道ライブカメラ YouTube

北海道札幌市南区澄川1条の地図 住所一覧検索|地図マピオン

北海道札幌市澄川駅近辺 複合商業施設テナント 東邦薬品(みらい物件)