足利 義将(あしかが よしまさ)は、室町時代の人物。足利直冬の孫と言われ、足利冬氏の次男に位置付けられる。
生涯
はじめ僧籍にあったとされ、重玄寺の大旦那(高僧)にあったとされる。
嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱の際、赤松満祐に擁立された足利義尊の弟に当たる。『建内記』によれば、義尊の弟で禅僧となっていた者が備中から播磨に逃れようとして、備中守護・細川氏久(勝久の父)の兵に討ち取られ、その首が7月28日頃に京都に到着する予定と書かれている。
備中国井原荘吉井村(岡山県井原市)の『重玄寺古過去帳』によると、「重玄寺殿、贈一品護峰鎮公大居士、諱義将公、嘉吉元年辛酉七月廿一日御他界、当寺の大旦那なり、井原善福寺ヵ御館なり」とある。この禅僧は俗名を義将といい同寺の大旦那であり、井原善福寺を住まいとしていたという。法名は重玄寺殿護峰鎮公大居士。
生年は不明であるが、兄に当たる義尊は応永20年(1413年)生まれのため、それ以降に生まれ、20歳前後だったと推測される。
脚注
参考文献
- 書籍
- 瀬野精一郎『足利直冬』吉川弘文館〈人物叢書〉、2005年。ISBN 464205233X。
- 史料
- 『重玄寺古過去帳』
- 『建内記』




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